1938年(昭和13年)の演歌・歌謡曲

1938年:国家総動員の幕開けと、人々の暮らしの変化

1938年の日本は、戦時体制への移行が本格化し、政治・社会・経済のあらゆる側面がその影響を色濃く受けた一年でした。前年から続く日中戦争は拡大を続けており、国内では国家総動員体制の確立が急がれました。4月には国家総動員法が公布され、5月には施行。政府は物資や労働力、報道や言論に至るまでを管理下に置く体制を築き始めました。この背景の中で、厚生省が設置されたのもこの年の出来事であり、国民生活の統制や衛生管理を国家主導で進める意図が明確に表れています。

国民の精神的統率を目指した近衛文麿首相は、1月に「国民政府を対手とせず」との第一次近衛声明を発表。12月には「善隣友好・共同防共・経済提携」の三原則を掲げる第三次声明を出すなど、中国との国交調整を模索する姿勢も見せましたが、軍部との緊張関係のなかでその実効性は疑問視されていました。

一方で、社会の空気は緊張と規律の強化に傾いていきます。2月には人民戦線事件の第2波として、労農派の学者らが多数検挙され、2月18日には石川達三の『生きてゐる兵隊』が発禁処分となり、表現の自由にも大きな制限がかかる時代が始まりました。さらに、11月には高等文官試験で初の女性合格者が出るなど、近代化への兆しも見られる一方、戦時色の強まりが社会全体を覆いはじめていたのです。

経済面では、国家総動員法の施行により企業活動の方向性も大きく変化していきました。物資統制や徴用制度の導入により、自由な経済活動は制限され、軍需産業への転換が促進されました。その一方で、企業創業も活発であり、たとえば電機メーカーのパイオニア(当時は福音商会電機製作所)や、不二家、マキタなどがこの年に設立されました。これらは後の高度経済成長を支える企業として成長していきます。

国際的な動きとしては、3月にドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)、9月にはミュンヘン会談でズデーテン地方の割譲が決定するなど、ヨーロッパ情勢は急激に悪化。日本国内ではこれらの動向に注目が集まりつつも、日中戦争の激化にともない、対中国戦線への注力が継続されました。5月には日本軍が徐州を占領し、10月には広東、武漢の三鎮を制圧するなど、大規模な戦果を挙げた一方、6月の黄河決壊事件では、敵軍阻止のために中国国民党が堤防を爆破し、数十万の民間人が犠牲となった悲劇が世界を震撼させました。

文化・芸能の分野では、李香蘭が映画デビューを果たし、人気を博すなど、満州や中国との文化交流を意識した動きも見られました。また、海外からはアメリカの人気俳優たちが来日し、プロパガンダ色を帯びる一方で、娯楽文化も人々の間に浸透していきました。ラジオや映画は引き続き人々の関心を集め、日劇ではエノケン一座が初公演を行うなど、舞台芸術も活況を呈しました。

文学の世界では、芥川賞に中山義秀『厚物咲』、中里恒子『乗合馬車』が選ばれ、直木賞では橘外男『ナリン殿下への回想』、大池唯雄『兜首』『秋田口の兄弟』が受賞するなど、新人作家たちの台頭が目立ちました。従軍作家制度により、作家・詩人・音楽家までもが前線に赴き、国家が文化人を戦争に動員していく流れが本格化したのもこの年の特色です。

スポーツでは、プロ野球がタイガースの春優勝で盛り上がり、個人成績では巨人の中島治康が首位打者・最多安打を獲得するなど存在感を示しました。相撲界では、双葉山定次が春夏連覇を達成し、その強さが話題となりました。

一方、7月に発生した阪神大水害は、自然災害として大きな爪痕を残し、多数の死傷者と被害家屋を出しました。また、12月には黒部川第三発電所で作業員宿舎が雪崩により崩壊し、84名の犠牲者を出すなど、自然との闘いも続いていた一年でした。

こうした激動の1938年は、国家体制の転換と戦時への傾斜が急速に進みつつも、文化・経済・社会の各分野では多様な動きが同時に交錯していた年だったと言えるでしょう。人々の生活は戦争の影に包まれながらも、確かに息づいており、その息吹は戦後へと続く日本社会の基盤を静かに築いていたのです。

1938年:戦時下に咲いた名曲たちと歌の力

1938年の日本の音楽シーンは、戦時体制の強化とともに、娯楽と国策がせめぎ合う独特な様相を見せました。前年に勃発した日中戦争の影響は、音楽界にも深く浸透しており、戦意高揚を目的とした軍歌や国威発揚を意識した作品が数多く制作されました。その一方で、ラジオやレコードといったメディアの発展により、流行歌や大衆音楽が広く浸透し、国民の心を慰める役割も果たしていました。

この年、特に大きなヒットとなったのが、霧島昇とミス・コロムビアによるデュエット「旅の夜風」です。しっとりとしたメロディと、戦時下にあっても人間らしい情感を描いた歌詞は、多くの人々の共感を呼び、長く愛される名曲となりました。霧島昇は「夜霧の波止場」などでも人気を集め、スター歌手としての地位を確立します。また、渡辺はま子の「支那の夜」も同様にヒットし、彼女の異国情緒あふれる歌声がリスナーを魅了しました。続く「愛国の花」は、そのタイトルからもわかるように、国家への忠誠を歌った作品であり、戦時下の空気を象徴する一曲となりました。

ディック・ミネの「上海ブルース」「旅姿三人男」などもヒット曲として知られています。彼のモダンな歌唱スタイルは、都市部の若者を中心に支持を集め、時代の流行を先取りする存在となっていきました。一方で、東海林太郎の「麦と兵隊」「上海の街角で」は、軍隊生活や兵士の心情を描きながらも叙情性を失わない独特の世界観で、多くの聴衆に受け入れられました。

この年はまた、楠木繁夫による「人生劇場」の登場も見逃せません。演歌の原型とされるような男の哀愁と情念を歌い上げたこの曲は、後の演歌文化の発展に大きな影響を与えることになります。さらに、二葉あき子の「古き花園」、淡谷のり子の「雨のブルース」、松島詩子の「私の青空」など、女性歌手による抒情的な作品も相次いでリリースされ、リスナーの幅広い感情に応える楽曲が揃っていました。

クラシック音楽の分野では、諸井三郎の「交響曲第2番」や大澤壽人の「ピアノ協奏曲第3番」など、現代的で実験的な作品が発表され、日本のクラシック界における創造的な動きも注目されました。また、童謡の世界では「汽車ポッポ」や「からすの赤ちゃん」などが子どもたちの間で親しまれ、音楽教育や家庭の中にも音楽が浸透していたことをうかがわせます。

戦時歌謡や軍歌の制作はさらに加速し、「皇軍大捷の歌」や「我等は若き義勇軍」など、いわゆるプロパガンダ的な色彩の濃い作品も登場しました。こうした楽曲は、メディアを通じて繰り返し流され、国民の戦意を鼓舞する目的を担っていたことは間違いありません。音楽家自身も従軍演奏会などに動員されることがあり、芸術と国家との関係がますます密接になっていった時代でもあります。

この年に注目された新人としては、高峰三枝子が挙げられます。映画と音楽の両面で活躍した彼女は、「蛍の光」の歌唱で多くの人々に認知され、清純なイメージと端正な歌声でファンを惹きつけました。彼女のようなクロスオーバーな存在は、戦後の歌謡界でも続々と登場することになり、アイドル的な存在の先駆けとも言えるでしょう。

この年に特筆すべき音楽イベントとしては、目立った大規模な音楽賞や全国的な音楽コンテストの記録は残されていませんが、それでもラジオ放送を通じて音楽の力が広がっていく時代背景は確かにありました。NHKを中心としたラジオ局では、軍歌や流行歌が日常的に流され、全国津々浦々へと音楽が届けられていったのです。

1938年の音楽シーンは、戦時体制の進行とともに、プロパガンダとしての役割を強めながらも、その一方で芸術的・感情的価値を持った多彩な楽曲が生まれた時期でした。流行歌、童謡、軍歌、クラシックといったジャンルが並行して発展し、多様なニーズに応えていたことは、当時の社会が音楽に求めていた役割の大きさを物語っています。この年に生まれた名曲やアーティストの多くは、戦後も日本音楽界に多大な影響を与え続けていくこととなり、1938年という年が、日本の音楽史にとって非常に重要な転換期であったことを示しています。

1938年(昭和13年)の名曲、発売リスト

以下に、1938年の代表的な演歌・歌謡曲をいくつか紹介します。

  • 淡谷のり子「雨のブルース」「青い部屋」
  • ディック・ミネ「上海ブルース」「旅姿三人男」「或る雨の午后」
  • 霧島昇「夜霧の波止場」「旅の夜風 (w.ミス・コロムビア)」「チョコレートと兵隊」
  • 松島詩子「私の青空」
  • 楠木繁夫「人生劇場」
  • 二葉あき子「古き花園」
  • 渡辺はま子「支那の夜」「愛国の花」
  • あきれたぼういず「四人の突撃兵」
  • 尾高尚忠「蘆屋乙女」
  • 伊藤久男「湖上の尺八」
  • 塩まさる「母子船頭唄」
  • 音丸「皇国の母」
  • 加美可那子「君を送りて」
  • 灰田勝彦「かちどきの歌 (w.波岡惣一郎)」
  • 岸井明「野球選手の兵隊さん」「進軍スイング」
  • 古川緑波「鬚に未練はないけれど」
  • 小唄勝太郎「とことん節」
  • 小野巡「音信(たより)はないか」
  • 松原操「悲しき子守唄」
  • 三門順子「愛馬行」
  • 上原敏「波止場気質」「鴛鴦道中 (w.青葉笙子)」「上海だより」
  • 青葉笙子「銃後だより」「椿咲く島」
  • 中野忠晴「バンジョーで唄えば」
  • 鶴田六郎「戦線子守唄」
  • 東海林太郎「上海の街角で」「麦と兵隊」「陣中髭くらべ」
  • 南邦雄「露営の煙草」
  • 服部富子「満州娘」
  • 諸井三郎「交響曲第2番」・クラシック
  • 大澤壽人「ピアノ協奏曲第3番」・クラシック
  • 童謡「からすの赤ちゃん」「汽車ポッポ」
  • 庁歌「樺太島歌」
  • 市歌「神戸市歌」
  • 寮歌「青春という」
  • 県民歌「宮城県民歌」
  • 戦時歌謡・軍歌
  • 波岡惣一郎「ニッポン勝った (w.能勢妙子)」
  • 藤原義江「万歳ヒトラー・ユーゲント」「前進」
  • 徳山璉「我等は若き義勇軍」「皇軍大捷の歌」「大日本の歌 (w.四家文子)」「大陸行進曲
  • 四家文子「日の丸行進曲」
  • 東京リーダー・ターフェル・フェライン「荒鷲の歌」

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