1940年:開戦前夜、国家総動員体制への道
1940年、日本は国家体制の大きな転換期を迎え、内政から外交、文化に至るまであらゆる面で戦時体制への移行が進んでいきました。紀元2600年という節目を国家的に祝う一方で、日独伊三国同盟の成立や北部仏印への進駐といった外交政策が国際社会を大きく揺るがしました。国内では「新体制運動」や「敵性語追放」、そして政治結社の解散などが相次ぎ、日本は名実ともに戦争に備えた国民総動員体制へと踏み出しました。
年初には斎藤隆夫による反軍演説が大きな波紋を呼び、戦争批判の声が議会からも発せられていましたが、結局彼は3月に除名され、言論統制の強化が露わになりました。その象徴的な出来事の一つとして、3月28日には芸能人のふざけた芸名や外国風の名前の使用が禁止され、ミスワカナやディック・ミネなどが名義変更を余儀なくされました。これは国民精神総動員の一環として、国民意識を内向きに統一しようとする文化的施策でもありました。
政治的には、1月に阿部信行内閣が総辞職し、米内光政内閣が誕生しましたが、陸軍との対立が深まり7月に総辞職を余儀なくされます。その後に成立した第二次近衛文麿内閣は、「基本国策要綱」によって南方進出の方針を明確化し、日本の外交方針を戦争への道に大きく踏み出すものとしました。7月には「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」が策定され、軍の補給や飛行場の使用を名目にフランス領インドシナへの進駐を想定。実際に9月には北部仏印に日本軍が進駐し、同月27日にはドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結ぶことになります。
社会政策の面でも、国民統制が強まりました。8月には「ぜいたくは敵だ!」というスローガンが東京市内に掲げられ、米の使用制限、ダンスホールの閉鎖、外国語を用いた商品名の改名など、生活のあらゆる場面に戦時色が浸透していきました。また、立憲民政党をはじめとする既存の政党が解散し、大政翼賛会が政治の中心となったことで、議会制民主主義は名実ともに終焉を迎えました。10月には国勢調査が行われ、内地人口は約7311万人、外地人口を含めると1億人を超える国家として、国民全体の動員と戦時下体制の構築が急がれる状況でした。
経済面では、戦争遂行のための物資統制が強まり、米穀強制出荷命令が出されるなど、農業生産や流通にも国家の管理が及びました。この頃から、配給制に近い形での物資調整が進められ、特に米や石油などの基礎資源については厳格な統制が行われていきます。同時に、戦時産業の強化も図られ、8月には世界最大級の戦艦「大和」が進水し、日本の軍事力の象徴として注目を集めました。
文化と芸術においては、国家的イベントとして紀元二千六百年の祝賀行事が行われ、11月には全国の神社で一斉に「浦安の舞」が奉納されるなど、国粋的な演出が強調されました。文学界では、芥川賞に高木卓『歌と門の盾』や櫻田常久『平賀源内』が、直木賞には堤千代『小指』や村上元三『上総風土記』が選ばれましたが、この時代の作品には国家や歴史に題材を取るものが多く、文芸もまた国策の一部として機能していたことがうかがえます。
映画界では、国内外ともに名作が相次ぎました。チャールズ・チャップリンの『独裁者』やジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』など、社会的メッセージ性の強い作品が世界中で話題となりました。一方で、東京では戦時統制の影響により、11月にダンスホールが一斉に閉鎖され、戦前の華やかな都市文化は徐々に姿を消していくことになります。
スポーツでは、柔道や相撲が引き続き人気を集めており、11月には第1回全国学生柔道大会が開催されました。大相撲では双葉山定次が春場所で、安藝ノ海節男が夏場所で優勝し、国民的な人気を誇っていました。また、国家主導による身体鍛錬の推進も進められ、国民の体力向上が重要な政策目標のひとつとして掲げられていました。
このように1940年は、国家体制が全面的に戦時へと傾斜する中で、政治・経済・文化のすべてが「国策」に収斂していく一年でした。戦争に備えるという名目のもとに自由な表現や経済活動が制限され、国民は一体感と引き換えに、多様性を失っていく過程にありました。こうした統制社会の形成は、翌年以降さらに強まっていくこととなり、日本は本格的な戦時下へと突入していきます。
1940年:戦火の足音と歌声、時代の記憶
1940年の日本の音楽シーンは、戦時色が濃くなりつつある時代背景のなかで、多様な音楽が生まれ、人々の心に寄り添う存在としての力を発揮していました。この年は、国民の士気を高める役割を担う戦時歌謡や軍歌の台頭と同時に、流行歌やラジオ音楽、映画音楽を通じて、生活のなかにささやかな彩りを添えるような楽曲も数多く誕生しました。
特に注目を集めたのは、霧島昇と渡辺はま子がデュエットで歌った「蘇州夜曲」です。この曲は映画『支那の夜』の主題歌として広く知られ、哀愁漂う旋律と美しい日本語の歌詞が当時の国民の心をとらえました。異国情緒を漂わせながらも、どこか懐かしさを感じさせるこの一曲は、戦時下の不安定な時代において、ほんのひとときの夢や安らぎを与える存在であったと言えるでしょう。
また、伊藤久男の「暁に祈る」や内田栄一の「月月火水木金金」など、いわゆる戦時歌謡や軍歌も大きな存在感を放ちました。「靖國神社の歌」なども含めて、これらの楽曲は国の戦争遂行と国民動員に寄り添う形で作られ、ラジオやニュース映画を通じて日常的に耳にするものとなっていきました。音楽が国策の一部としても利用されていたことを象徴するような展開でしたが、同時にそれらの曲に心を動かされた人々がいたのも事実です。
一方で、抒情的な歌や叙景詩的な楽曲も多く発表されています。たとえば、高峰三枝子の「湖畔の宿」は、戦争の影を感じさせないほどに静かで情感豊かな世界を描き出し、多くの女性リスナーの共感を呼びました。また、灰田勝彦の「森の小径」や「燦めく星座」なども、軽やかなメロディと洒落た詞で、戦時下においても軽音楽の希望をつなぐような役割を果たしていました。
田端義夫の「別れ船」や「旅出の唄」といった作品も、放浪や旅情をテーマにしており、当時の若者の郷愁や憧れを投影するような人気を博しました。藤山一郎と二葉あき子による共演「春よいずこ」や「なつかしの歌声」は、古き良き日本の美意識を感じさせる調べであり、熟練の歌唱が時代を超えて人々の記憶に残るものとなりました。
また、二葉あき子の「めんこい子馬」は童謡としても親しまれ、子どもたちだけでなく大人たちにも人気を博した一曲です。このような童謡や愛唱歌の存在も、家庭における音楽のあり方を反映しており、文化の基礎をなす存在として重要な役割を果たしていました。「りんごのひとりごと」「船頭さん」など、今なお歌い継がれる楽曲がこの時期に多く生まれていることも見逃せません。
音楽活動の背景には、紀元二千六百年記念という国家的な祝賀ムードもありました。前年末に発売された6社競作レコードなどは、祝典を盛り上げるとともに、音楽業界の結束を象徴する存在ともなりました。こうした国家的行事と音楽の結びつきが強まるなかで、音楽そのものが政治的・社会的意味合いを帯びる傾向も目立ってきた年でもあります。
また、演奏家としても新たな顔ぶれが注目され、クラシック分野では橋本國彦が「交響曲第1番」を発表。日本のクラシック音楽界における重要な足跡を残しました。世界的にもクラシック音楽が新たな局面を迎え、ウォルト・ディズニーの『ファンタジア』がクラシックと映像の融合を試みた画期的な作品として登場し、音楽表現の可能性を広げていきました。
国内における大規模な音楽イベントや賞については、現在のようなレコード大賞や紅白歌合戦といった制度はまだ存在していませんでしたが、その代わりに映画音楽やラジオ番組が新曲を紹介する主なメディアとして機能していました。レコード会社主導での宣伝活動や、映画とタイアップした楽曲が人気を集める傾向も強まりつつあり、芸能と音楽の連携が音楽シーンの発展を支える構造が徐々に形成されていた時代でもあります。
この年の音楽が後世に与えた影響としては、戦時下という制限された表現環境のなかであっても、情緒や郷愁、あるいはささやかな希望を歌に込めようとする姿勢が、戦後の歌謡曲文化にも受け継がれていった点が挙げられます。抒情性と叙情性、そして庶民の感情に根ざしたメロディラインは、後の流行歌の原型ともなり、昭和歌謡という一大文化の礎を築いていったのです。
1940年は、国の行方が次第に戦争へと傾いていくなかでも、音楽が人々の心を慰め、励まし、つながりを生む媒体として確かに存在していたことを示す一年でした。その時代に生まれた楽曲の多くが、今なお歌い継がれているという事実は、音楽が時代を超えて残る力を持つことを、改めて感じさせてくれます。
1940年(昭和15年)の名曲、発売リスト
以下に、1940年の代表的な演歌・歌謡曲をいくつか紹介します。
- 青葉笙子「木曽の旅唄」「戦場撫子」
- 淡谷のり子「散りゆく花」
- 一色皓一郎「ビルの窓から」
- 伊藤久男「熱砂の誓ひ」「高原の旅愁」
「お島千太郎旅唄 (w.二葉あき子)」
「白蘭の歌 (w.二葉あき子)」 - 小笠原美都子「みのる秋」
- 川田義雄とミルクブラザース「地球の上に朝が来る」
- 霧島昇「蘇州夜曲」(渡辺はま子とのデュオ)
「誰か故郷を想わざる」
「目ン無い千鳥 (w.ミス・コロムビア)」
「愛を呼ぶ唄」
「新妻鏡 (w.二葉あき子)」
「東京セネタースの歌 (w.松原操)」
「燃ゆる大空 (w.藤山一郎)」 - 小夜福子「小雨の丘」
- 志村道夫・奥山彩子「蛇姫絵巻」
- 東海林太郎「戦場初舞台」
- 菅原都々子「風の又三郎」
- スリー・シスターズ「夢去りぬ」
- 田端義夫「別れ船」「兄弟」「旅出の唄」
- 高峰三枝子「湖畔の宿」
- 灰田勝彦「森の小径」「燦めく星座」
- ディック・ミネ「雪の満州里」
- 徳山璉「隣組」
- 新田八郎「南洋航路」
- 橋本國彦「交響曲第1番」
- 藤山一郎、渡辺はま子「まわる笑顔」
- 藤山一郎、二葉あき子「打てば響く」「春よいずこ」「なつかしの歌声」「北海道歌」
- 二葉あき子「めんこい子馬」
- 古川緑波「ロッパ南へ行く」
- 松島詩子「上海の踊り子」
- 山田一雄「印度」
- 童謡「めんこい仔馬」「りんごのひとりごと」
- 市歌「尼崎市歌」「松本市歌」
- 県民歌「山口県民歌」
- 戦時歌謡・軍歌:伊藤久男「暁に祈る」、内田栄一「月月火水木金金」、「靖國神社の歌」
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