シャンソン歌手のクミコは、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でデビューしてから42年の月日が流れました。パリオリンピックを契機に、再び注目が集まるシャンソンの世界で、彼女が歌い続けてきた「愛の讃歌」。この名曲に込められた思いと、クミコ自身が体現するシャンソンの魅力について、深く掘り下げていきます。愛の力を歌い上げることで、多くの人々に希望と勇気を与えてきた彼女のストーリーをご紹介します。
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シャンソン歌手クミコ「銀巴里」デビューから42年…歌い続ける「愛の讃歌」最後は光のもとに
パリ五輪で蘇る「愛の讃歌」
2024年、パリ五輪の開会式で、世界的な歌手セリーヌ・ディオンが歌った「愛の讃歌」は、世界中の心に響き渡りました。この名曲は、フランスで最も愛されるシャンソン歌手エディット・ピアフの代表作であり、その背景には深い歴史と感情が込められています。クミコもその感動的な瞬間に立ち会い、セリーヌ・ディオンが「愛の讃歌」を通じて世界に伝えた強いメッセージを深く感じ取ったと言います。
クミコがこの歌を歌い続ける理由は、愛の力がもたらす希望と強さを信じているからにほかなりません。パリ五輪でのパフォーマンスを通じて、「愛の讃歌」はただの恋愛の歌ではなく、人生のさまざまな困難に立ち向かうための力強いメッセージを含んでいることを、改めて示したのです。
銀巴里から始まったシャンソンの道
クミコのシャンソン歌手としてのキャリアは、1982年、東京・銀座のネオンが煌めくシャンソン喫茶「銀巴里」の舞台から始まりました。27歳という若さで、美輪明宏や金子由香利といった大先輩たちの息吹を感じながら、彼女はシャンソンの世界へと足を踏み入れたのです。
銀巴里の薄暗い照明の下、しっとりと歌い上げるクミコの声は、聴衆の心を捉え、忘れがたい夜を作り出しました。特に、「愛の讃歌」は、彼女の代表曲として定着し、毎晩のようにリクエストされました。当初は「この曲を私が歌うなんて、考えられない」と冗談まじりに言っていた彼女ですが、次第にこの歌に導かれるように、シャンソンの道へと深く進んでいったのです。
「愛の讃歌」に込めた思い
「愛の讃歌」は、クミコさんにとって、ただの一曲というわけではありません。それは、心の支えであり、希望の灯のような存在なのです。特に、東日本大震災やウクライナの戦争など、世界が大変な状況に置かれる中、「愛」というこの歌のメッセージは、クミコさんの心に深く響き、歌うたびに新たな意味を生み出しています。
日本語詞の「愛の讃歌」を歌う時、クミコさんは、ただ美しいメロディーに乗せて歌っているわけではありません。「愛とは何か」「私たちは何をすればいいのか」を自問自答しながら、この歌を通して、何かを伝えようとしているのです。
演歌ニュース記事 感想
クミコさんの「愛の讃歌」に対する深い思いを知ると、彼女がなぜこの曲を歌い続けるのか、その理由がよく理解できます。特に、パリオリンピックでのセリーヌ・ディオンのパフォーマンスと重ねて見ると、歌が持つ力や、愛のメッセージの普遍性を強く感じます。42年のシャンソン歌手としてのキャリアの中で、クミコさんが築いてきたものは、単なる技術や表現力を超えた、人間としての深い愛情と覚悟ではないでしょうか。彼女がこれからもシャンソンを通じて、多くの人々に勇気と希望を与えていくことを期待しています。
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