ギター1本を抱え、全国のスナックや居酒屋を巡る「流し」として歌い始め、そのハスキーで心に沁みる歌声と、親しみやすいキャラクターで多くのファンを掴んできたシンガーソングライターのおかゆさん。彼女から、驚きと共に、新たな門出を祝うべきニュースが届きました。4年間にわたり所属したサンミュージックプロダクションを4月30日付で円満に退所し、本日2025年5月1日、自身の個人事務所「株式会社ゆかプロモーション」を設立したことを発表したのです!
「これからは、アーティストとしてだけでなく、一人の社長としても歩みを進めていきます」。自身のブログやSNSで力強く宣言したおかゆさん。そこには、11年前にたった一人で歩き始めた道が、多くの出会いと支えによって新たな形へと繋がったことへの深い感慨が込められていました。
ギターケースに夢と亡き母への想いを詰め込み、北は北海道から南は沖縄まで、歌い歩いた彼女。なぜ今、独立という道を選んだのでしょうか? そこには、壮大な目標達成という一つの区切りと、音楽を通じて届けたい、変わらぬ熱いメッセージがありました。この記事では、おかゆさんの知られざるデビュー秘話から、11年間にわたる「流し」の軌跡、そして新たに設立した事務所に込めた理念と、未来への展望に迫ります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/45a96b956044983ec1a20030df02eeb62daeeab3
おかゆ「アーティストとしてだけでなく、一人の社長としても」事務所退所一夜明け個人事務所設立
ギター1本、流しから始まった道 – 天国の母へ届けたかった歌声
おかゆさんが歌手の道を志すようになった背景には、若くしてこの世を去ったお母様の存在がありました。歌手になることを夢見ていたというお母様が、突然の事故で他界。「何一つ親孝行できなかった。亡くなった日の朝にかかってきた電話にも出られなかった…」。深い後悔の念に苛まれたおかゆさんは、「歌手になりたかった母の夢を、私がかなえることで恩返しができるんじゃないか」と、固く心に誓ったのです。
渋谷の華やかさに憧れて17歳で故郷・北海道を飛び出した彼女でしたが、その決意を胸に、2014年、東京・湯島の地でギター1本を相棒に「流し」としての活動をスタートさせます。スナックや居酒屋の暖簾をくぐり、お客さんのリクエストに応えながら、時にはオリジナル曲を披露し、自身の歌声を少しずつ、しかし着実に広めていきました。その活動には、二つの大きな目標がありました。一つは「47都道府県すべてで流しを行うこと」。そしてもう一つは、流しで出会った「7842人」と写真を撮ること。この「7842」という数字は、お母様が口癖のように言っていた「七転び八起き幸せに」という言葉に由来しています。それは単なる数字ではなく、彼女にとって母への想いそのものであり、道標でもあったのです。
地道な努力は実を結び、2019年4月には47都道府県での流しを達成。そして同年5月1日、令和の幕開けと共にシングル「ヨコハマ・ヘンリー」で念願のメジャーデビューを果たします。オリコンの演歌・歌謡曲チャートで初登場3位という華々しいスタート。流しで培った経験と、多くの人との出会いが、彼女の歌を深く、温かいものにしていたことは言うまでもありません。
11年越しの目標達成、そして新たなステージへ – 「アーティストおかゆ」の誕生
メジャーデビューを果たし、多忙な日々を送るようになったおかゆさん。さらに、その後のコロナ禍は、彼女の活動の原点である「流し」を困難なものにしました。飲食店への営業規制などもあり、約2年間、思うように流しができない時期が続いたのです。しかし、彼女は決して諦めませんでした。
2023年、おかゆさんは再びギターを手に、個人でスナックや居酒屋への飛び込み営業を再開します。11年前に掲げた「7842人との写真撮影」という、もう一つの大きな目標を達成するために。その情熱と行動力には、ただただ頭が下がります。そして、運命の日が訪れます。2024年4月20日、奇しくもお母様の命日に、彼女が幼い頃、お母様にいつも連れられて行っていたという北海道・札幌市のスナック「ひろ川」を訪問。そこのマスターとのツーショットが、記念すべき7842人目の写真となりました。11年越しに果たした母への誓い。その瞬間、彼女の胸に去来した想いは、どれほど深かったことでしょう。
この大きな目標の達成は、彼女にとって一つの区切りとなり、新たなステージへの決意を促したのかもしれません。「流しのおかゆ」として全国を駆け巡った日々を経て、彼女は「アーティストおかゆ」として、そしてこれからは「経営者・おかゆ」として、さらなる高みを目指すことを決断したのです。4年間在籍したサンミュージックプロダクションへの感謝を胸に、円満な形で契約を満了し、独立への道を歩み始めました。
株式会社ゆかプロモーション始動 – “心のうた”を世界へ、そして新曲『ジモンジトウ』に込める想い
そして本日、2025年5月1日。おかゆさんは個人事務所、「株式会社ゆかプロモーション」の設立を発表しました。「ギター1本を抱えて、ひとりで流しを始めた11年前のあの日から、届けたい…伝えたい思いとギターだけで進んできたこの道が、このような形になりました」と、自身のブログで感慨深げに綴っています。そこには、決して平坦ではなかったであろう道のりと、それを支えてくれた人々への感謝の念が滲んでいます。
新たに設立された事務所の公式サイトには、彼女の音楽への信念を示す「企業理念」が掲げられています。「音楽は、人の心に寄り添い、時代を超えて繋がる力を持っています。私たちは、昭和歌謡をはじめとした“心のうた”を大切に、音楽を通じて人と人の絆を深め、笑顔が広がる場を創り出していきます」。さらに、「流し文化の継承や発展を軸に、音楽の魅力を日本から世界へと届け、世代や国境を越えて愛される“音楽の温もり”を発信し続けます」と続きます。流しで出会った人々の温かさ、昭和歌謡が持つ普遍的な魅力、そして音楽が持つ力を信じ、それを広めていきたいという強い意志が感じられます。
ファンへのメッセージも忘れてはいません。「まだまだ未熟な私ですが、ここまで来られたのはいつもそばで支えてくれたあなたがいたからです。これからも一緒に、たくさんの景色を見ていけますように。そして、音楽でつながる幸せをもっと繋いでいけますように」。ファンとの絆を何よりも大切にする彼女らしい言葉です。
そんな新たなスタートを切ったおかゆさんから、早速嬉しいニュースも。6月18日には、待望の新曲「ジモンジトウ」が発売されることが決定しました。「自問自答」と読めるこのタイトル。もしかしたら、これまでの歩みを振り返り、これからの道を見つめながら、それでも前へ進もうとする、彼女自身の等身大の想いが込められた楽曲なのかもしれません。期待は高まるばかりです。
演歌ニュース記事 感想
おかゆさんの個人事務所設立の記事を読んで、まず心に強く響いたのは、彼女のブレない芯の強さと、亡きお母様への深い愛情でした。歌手になることを決意したきっかけから、流しでの地道な活動、そして11年越しの目標達成まで、その一つ一つのエピソードに、彼女の強い意志と、お母様への想いが貫かれているように感じられ、胸が熱くなりました。「7842人との写真」という目標も、数字だけ見れば途方もないですが、そこにお母様の言葉が込められていると知ると、とても温かい目標に思えます。
メジャーデビューやヒットを経験してもなお、流しの活動を再開し、自ら掲げた目標を達成しようとする姿勢には、本当に頭が下がります。そして、その目標達成を一つの区切りとして、独立という新たな道を選び、「社長」としても歩み始めるという決断。その勇気と覚悟には、心からの敬意とエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
個人事務所の企業理念に「流し文化の継承・発展」や「“心のうた”を大切に」といった言葉があるのも、おかゆさんらしいなと感じました。彼女が流しで出会ってきた人々の温かさや、昭和歌謡の持つ力を、これからも大切に歌い継いでいきたいという想いが伝わってきます。
新曲のタイトル『ジモンジトウ』も、非常に印象的です。きっと、悩みながらも自分自身と向き合い、未来へ進んでいく…そんな多くの人が共感できるような、力強いメッセージが込められているのではないかと期待しています。この記事を読んで、おかゆさんというアーティストの、歌声だけではない、人間的な魅力に深く触れることができました。新社長・おかゆさんの今後の活躍、そして彼女が届けてくれるであろう「心のうた」を、これからも楽しみにしています。
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