“おんなギター流し”として47都道府県を制覇し、昭和歌謡への深い愛を歌声に乗せるシンガーソングライター、おかゆさん。彼女が事務所から独立し、新たな一歩を踏み出す決意のシングル「ジモンジトウ」を2025年6月18日にリリースしました。その明るく親しみやすい笑顔と、聴く者の心を掴む力強い歌声。しかし、その裏側には、若くしてこの世を去った最愛の母への深い後悔と、あまりにも壮絶な過去が隠されていました。彼女はなぜ歌うのか。母との間にあった確執、後年知った衝撃の真実、そして「自問自答」の果てにたどり着いた現在地。彼女の魂の物語を、ここに紐解いていきます。
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おかゆ「ジモンジトウ」インタビュー――シンガーソングライターとして自問自答しながら新たに踏み出した最初の一歩
母への反発と、あまりに遅すぎた後悔
彼女の音楽の原風景は、母に連れられて通った地元のスナックでした。物心つく前から、演歌や歌謡曲を子守唄のように聴いて育ったおかゆさん。しかし、多感な思春期は、そんな母へ一方的に反発し、拒絶する日々。やがて彼女は「ギャルになりたい」と、故郷を飛び出し渋谷へと向かいました。その距離が、永遠の別れとなってしまうことも知らずに。お母様は、37歳という若さで急逝。突然の別れに、彼女は3ヶ月もの間、記憶が曖昧になるほどの後悔の念に苛まれたと言います。「なんでこうしてあげられなかったんだろう」。失って初めて気づく、あまりに大きな存在。彼女はその日から、母が夢見た「歌手になる」という道を、自らの宿命として歩むことを固く決意したのです。
47都道府県、償いのギター流し
歌手になる決意をしたものの、オーディションには落ち続ける毎日。そんな彼女が最後の賭けとして選んだのは、ギター1本で全国のスナックを巡る「流し」という、あまりにも過酷な道でした。アポなしの飛び込み営業で、1日に20軒、30軒とスナックの扉を叩き、宿はカプセルホテル。交通費と宿代を稼ぐまで故郷には帰らないと心に決め、気づけば47都道府県すべてを制覇していたというから、そのド根性には絶句するほかありません。しかし、それは単なる武者修行ではありませんでした。「母に何もしてあげられなかった自分に対する戒めもあったかもしれません。償いというか…」。彼女にとってこの旅は、天国の母へ歌を届け続ける、長く険しい巡礼の道でもあったのです。
自問自答の末に、母がくれた本当の夢
壮絶な流しの旅を経てメジャーデビューを果たし、着実にキャリアを積んできたおかゆさん。そんな彼女に、さらなる衝撃の事実が突きつけられます。それは、かつて通ったスナックのマスターとの再会がもたらしました。「母が歌手の道を諦めたのは、おかゆが生まれたからだったんだよ」。新しい命を授かった喜びと引き換えに、母は自らの夢を封印していたのです。この真実を知った時、彼女の胸に去来した想いは計り知れません。しかし、彼女はその運命からも逃げませんでした。新曲「ジモンジトウ」は、事務所から独立し、全ての過去を抱きしめながら、自分の足で未来へ歩き出すという彼女の決意表明そのもの。憧れの編曲家・船山基紀さんの力を得て、彼女は今、母がくれた命で、自分だけの歌を歌い始めます。
演歌ニュース記事 感想
おかゆさんの明るいキャラクターの裏に、これほど壮絶な物語が隠されていたことに、記事を読んでただただ衝撃を受けました。特に、お母様が自分のために歌手の夢を諦めていたという事実を知った時の彼女の胸中を思うと、本当に言葉を失います。その計り知れない後悔や償いの気持ちを、47都道府県をギター1本で巡るという、凄まじい行動力に変えた彼女の精神力には、畏敬の念すら抱きます。その膨大なエネルギーがあったからこそ、彼女の歌は人の心を強く打つのだと、心の底から納得しました。新曲「ジモンジトウ」は、彼女が全ての過去を受け入れ、これからは自分のために、そして自分と同じように悩む誰かのために歌っていくのだという、力強い宣言のように聞こえます。「歌謡曲女子。」として新しい世界を切り拓いていく彼女の姿を、心から応援したくなりました。
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