演歌界の大御所・山本譲二さんが語った、師匠・北島三郎さんからの「たった一言」が、彼の人生を変えた——。そんなエピソードが、今あらためて注目を集めています。きっかけは、北島さんが山本さんの両親にかけた、たった一言の励ましの言葉。そしてそこから始まった、弟子としての歩みと50年にわたる師弟の関係。
1974年の出会いから51年目を迎える今、山本さんは「オヤジがいたから今の自分がある」と、感謝の思いを語りました。この記事では、その絆の深さをたどりながら、北島三郎さんの言葉が山本譲二さんの人生にどのような影響を与えたのかを紐解いていきます。
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《人生を変えた言葉》山本譲二「オヤジの言葉を聞いて父と母は安心して故郷に帰ったはず」 今でも忘れられない恩師・北島三郎の言葉
弟子入りのきっかけは“父親としての顔”に惹かれて
1974年、東京・中野ブロードウェイでの偶然の出会いが、すべての始まりでした。まだ若き日の北島三郎さんが、幼い息子の手を引いて歩くその姿に、山本さんは目を奪われたといいます。「あの優しい顔に惚れたんです」。その一瞬で、彼の心は動きました。
売れない下積み生活を続けていた山本さんは、迷わず弟子入りを志願。公演先の楽屋の前に10日間立ち続け、「甲子園に出た野球経験がある」という自己紹介も功を奏し、ついに北島さんから「明日から来い」と声をかけられました。それが、今日まで続く師弟関係の始まりでした。
人生を変えた“ひと言”と恩返しの900万円
デビューからしばらくは、目立った活躍もなく鳴かず飛ばずの日々。それでも北島さんは、山本さんを信じ続けていました。ある日、弟子たちの家族を集めた食事会で、山本さんの両親に対し、こう語りかけます。
「そんなに悩まないでください。山本は絶対に売れますから」
この言葉が、山本さんを支える原点となりました。翌年、30歳でリリースした『みちのくひとり旅』が10か月かけてヒットし、念願の紅白歌合戦出場が決定。その喜びを胸に、山本さんは北島さんに「お金が欲しいです」と正直に願い出ます。すると北島さんは、なんと900万円を即座に渡してくれました。
そのお金を手に、山本さんはすぐに実家へ。母親に600万円を手渡すと、母は肩を震わせて泣いたといいます。「あの600万円は、昔どうしても送れなかった3万円の代わりでした」。長年抱えていた“親不孝”の思いを、ようやく返せた瞬間でもありました。
「感謝を忘れるな」――怒号とともに届いた師匠の教え
紅白に出場し、名実ともに“売れっ子”となった山本さん。しかし成功の裏で、自分でも気づかぬうちに態度や心に変化があったといいます。そのとき、北島さんは烈火のごとく怒り、こう叱責しました。
「かわいがられたいと思われないお前の態度は何だ! 感謝を忘れるな、愛を忘れるな、歌を忘れるな!」
そして手渡されたのが、「いつの日も自分の心を鏡に写せ」と書かれた色紙でした。その一言ひと言が、今の山本さんを形づくる大切な礎となっています。
2007年に独立した後も、二人の関係は変わることなく続き、昨年デビュー50周年を迎えた山本さんに対し、北島さんは「よくがんばったな。でもまだ50年だぞ」と一言。上には上がいるという言葉に、なおも背筋を正される思いがしたといいます。
演歌ニュース記事 感想
この記事を読んで心に残ったのは、「言葉の力」でした。ただの一言で人は変わる。その一言が本物であればあるほど、その人の人生を大きく動かすのだと、強く感じました。
特に、北島さんが山本さんの両親にかけた「山本は絶対に売れますから」という言葉。あれは、親としてはどれだけ安心できたか。そして本人にとっても、どれだけ心強かったか。家族への信頼をも背負ったような言葉に、師匠としての器の大きさがにじんでいたように思います。
また、900万円の話は驚きましたが、それ以上に、そのお金の背景にあった“3万円の悔しさ”のエピソードに胸を打たれました。成功や金額以上に、“あのときできなかったことを返す”という気持ちの重みが、とても人間らしく、切実でした。
山本譲二さんの歩みは、決して順風満帆ではありませんでしたが、だからこそ、師弟の絆がどれだけ大きな支えだったのかが伝わってきました。人と人の関係、そして言葉が持つ力について、あらためて考えさせられる内容でした。
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