「からたち日記」の詩に込められた神童の軌跡 ─ 戦後歌謡史を彩った西沢爽の才能

1958年の島倉千代子「からたち日記」や、1962年の美空ひばり「ひばりの佐渡情話」。これらの名曲の作詞者、西沢爽さんは、戦後の演歌歌謡に大きな影響を与えた作詞家として、その名前を刻んでいます。西沢爽さんの作詞による曲は、半世紀以上たった今もなお普遍的で色あせない素晴らしいものとなっています。

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西沢爽(作詞家)「からたち日記」 行かなかった修学旅行を詩にした神童ぶり 戦後歌謡史に燦然と輝く島倉千代子

作詞の巧みさと普遍性

1958年の「からたち日記」や1962年の「ひばりの佐渡情話」など、西沢爽さんが手がけた名曲は、その巧みな作詞により戦後歌謡史に燦然と輝いています。これらの曲は、半世紀以上たった今もなお多くの人々に愛され、普遍性を保ち続けています。

昭和のレコード会社事情と作詞家の地位

当時のレコード会社には一流の専属作家がひしめき合っていました。西沢爽さんは「百華百文」で「質より量」の時代に辛口なコメントを残し、「作品」よりも「盤」を売る傾向に対して警鐘を鳴らしました。彼が作詞において注目され、評価されていた時代の様子が垣間見えます。

職人魂と晩年の活動

スマホから無料で音楽が聴ける現代において、作詞家の職人魂は育っていないと言えるでしょう。西沢爽さんは作詞家としての生涯を約30年、2000曲以上の楽曲に携わり、1974年に引退しました。その後は歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」や「雑学歌謡昭和史」を著すなど、晩年も精力的に活動しました。

意外な一面と文学青年時代のエピソード

西沢爽さんは78年に発表した「西沢爽雑学猥学」で、日本の中近世に渡る性に関する事例を面白おかしく取り上げました。また、星野哲郎さんによると、西沢さんは小学生時代に詩を詠んだ「神童」だったとのこと。小学校の修学旅行に行かず、自転車を選んだ彼が、作文の宿題で「修学旅行の思い出」を詩にしていたエピソードが明らかになっています。

演歌ニュース記事 感想

西沢爽さんの才能に触れ、彼の詞がいかに時代を超えて輝き続けているかを知り、感動しました。特に、彼の文学青年時代のエピソードや意外な著作には新たな一面が垣間見え、ますます彼の人間性に興味を抱きました。

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