1939年(昭和14年)の演歌・歌謡曲

1939年:戦時体制が加速した転換の年

1939年の日本は、世界情勢の激変と国内の体制変化が複雑に交錯する一年でした。国際的には、9月にドイツのポーランド侵攻をきっかけとして第二次世界大戦が勃発。これにより、世界は一気に戦時体制へと突入し、日本もまたその渦中で揺れ動くことになります。国内では、政治、経済、社会全体が戦争遂行に向けて加速度的に動き出し、国民生活は急速に「戦時色」に染まっていきました。

政治の面では、年初に第1次近衛内閣が総辞職し、平沼騏一郎内閣が誕生しました。平沼内閣は強硬な対中政策を掲げましたが、8月にドイツとソ連が不可侵条約を結んだことで、いわゆる「欧州の天地は複雑怪奇」との声明を残して総辞職。日本外交の混乱ぶりを象徴する形となりました。その後、阿部信行内閣が発足し、国内の統制強化を進めていくことになります。

経済面では、戦争準備のための資源確保と物資統制が急速に進行しました。特に9月には「賃金統制令」「価格等統制令(九・一八停止令)」が公布され、10月には石油の配給制、物価・地代家賃の統制が実施されるなど、民間生活のあらゆる場面に統制が及びました。さらに11月には米穀の強制買上げ制度が導入され、国家による食糧管理が本格化。これにより、一般市民の暮らしは物資の不足や制限を強く意識するようになっていきました。

また、同年5月から9月にかけて満洲国とモンゴル人民共和国との国境地帯で起きたノモンハン事件は、日本とソ連の大規模な武力衝突となり、多数の死傷者を出す結果となりました。これは後に日本軍内部での戦略見直しを迫る重要な出来事となり、対ソ戦への慎重な姿勢を生む一因となります。同時に、7月には国民徴用令が公布され、労働力も国家の管理下に置かれるようになり、戦時国家体制が急速に整えられていきました。

社会的には、生活習慣や文化面にも変化が見られました。6月には「生活刷新案」が閣議決定され、男性の長髪や女性のパーマネントが禁止されるなど、見た目の面からも「質素倹約」「戦時の国民らしさ」が求められ始めます。また、12月には白米禁止令が施行され、国民に対しては七分づき米以下の摂取が奨励されるようになります。これらの政策は、戦争準備のための資源節約と、規律ある国民の育成を目的としたものでした。

文化や芸術の分野では、戦時体制の影響が及びつつある一方で、世界的には映画や音楽といった娯楽の分野が黄金期を迎えていました。とりわけ映画『オズの魔法使』や『風と共に去りぬ』は、視覚表現の革新や物語性の豊かさにおいて大きなインパクトを与え、世界中の観客を魅了しました。日本国内でもこうした海外の映画作品は注目されましたが、戦時の影響によって輸入作品の上映は次第に制限されていくこととなります。

一方、国内映画では『鴛鴦歌合戦』のようなオペレッタ調の作品が人気を博し、音楽と娯楽を融合させた形で国民の心を和ませていました。また、同年11月には、日本音楽著作権協会の前身である大日本音楽著作権協会が創立され、音楽の権利保護体制が整備され始めたことも重要な動きの一つです。音楽が商業的にも文化的にも成長していく下地が、まさにこの年に形づくられたと言えるでしょう。

スポーツでは、大相撲の横綱・双葉山定次が69連勝で記録を止められるというニュースが国民の注目を集めました。また、東京の都市交通網では、東京高速鉄道が新橋〜渋谷間で全通し、現在の銀座線の基礎が整備されました。こうした都市のインフラ整備も、近代国家としての成長を示す一面でした。

情報通信の分野では、NHKが3月と5月にテレビ実験放送を公開。まだまだ黎明期ではあるものの、日本の放送技術が新たな時代を迎える兆しが見え始めた年でもありました。あわせて、大日本航空がニューヨーク・横浜間の飛行に成功し、日本の航空技術が国際的に存在感を示したことも話題となりました。

こうした動きのなかで迎えた1939年の年末、日本政府は木炭の配給を開始し、さらに米穀の統制を強化。12月には照国丸がイギリス沖で触雷するなど、戦争の緊張感が国民生活にも直接届くようになっていきました。同月のソ連によるフィンランド侵攻により「冬戦争」が勃発し、世界はますます混沌とした情勢へと向かっていきます。

全体を通して1939年は、日本国内において戦時体制の準備が本格化し始めた年であり、国民の生活、経済、文化すべてが徐々に統制へと向かっていく節目の年でした。同時に、世界では破壊と創造の両面が激しくぶつかり合う中で、文化や技術が飛躍的に進化していくダイナミズムが存在し、日本もまたその波の中に確かに身を置いていたのです。

1939年:軍歌と流行歌が交差した名曲の時代

1939年の日本の音楽シーンは、国際情勢が大きく揺れる中でも、多様なジャンルが交錯しながら文化としての成熟を見せた重要な一年でした。第二次世界大戦がヨーロッパで勃発し、日本国内でも戦時体制への移行が本格化する中で、音楽は娯楽にとどまらず、国民の心を動かす「情緒の記録」としての役割を強く帯びていきます。

この年の音楽業界において最も特徴的だったのは、戦時歌謡・軍歌の急激な拡がりでした。「出征兵士を送る歌」「父よあなたは強かった」「愛馬進軍歌」などは、当時の国民感情に深く訴えかける作品として広く歌われ、若者たちを前線へと送り出す際の象徴的な存在ともなりました。霧島昇が歌った「父よあなたは強かった」は、家族への思慕をこめた旋律と歌詞が共鳴し、多くのリスナーに深い感動を与えました。また、林伊佐緒による「出征兵士を送る歌」は、戦場へ旅立つ人々を静かに励ますようなトーンが印象的で、ラジオを通じて国民の耳に繰り返し届けられました。

一方で、戦争の影に隠れながらも、抒情的で洗練された流行歌や映画音楽も多数登場しています。特に、霧島昇とミス・コロムビアによる「一杯のコーヒーから」は、都市的な雰囲気と淡い恋の情景を描いた名曲として人気を博しました。この曲はモダンな和声とジャズ的な香りをまとい、戦時下にありながらも都会的感性を保った作品として後年まで語り継がれています。また、霧島昇と高峰三枝子が共演した「純情二重奏」や、藤山一郎の「懐かしのボレロ」なども同様に高い評価を受け、感傷的なメロディと歌詞が幅広い層の支持を得ました。

女性歌手では、渡辺はま子が数々のヒットを飛ばした年でもありました。「長崎のお蝶さん」「広東ブルース」「何日君再來(ホーリー・ナイ)」など、彼女の歌声は東洋的な艶やかさと西洋的な旋律美が融合し、日本国内だけでなく海外でも注目を集めました。特に「何日君再來」は中国語版が現地でもヒットし、日中の音楽文化交流の象徴とも言える作品となりました。

笠置シヅ子の「ラッパと娘」も1939年を代表する軽快なナンバーの一つです。のちにジャズとブギウギの女王と呼ばれる彼女の原点とも言えるこの楽曲は、明るく歯切れの良いリズムが戦時色に染まりつつある時代の空気に一石を投じるような存在感を放ちました。笠置のエネルギッシュな歌唱は、重苦しくなりがちな社会の中で、音楽が持つ「笑いと元気」の力を証明したとも言えるでしょう。

また、田端義夫の「大利根月夜」もこの年を代表するヒット曲の一つとして挙げられます。彼の太く伸びやかな歌声と、情感あふれるメロディは、日本人の郷愁と美意識にしっかりと根ざしており、以後も彼の代表曲として長く親しまれていくことになります。

子ども向けの童謡も安定した人気を誇り、「お猿のかごや」「やぎさんゆうびん」などの名曲が発表されました。これらの曲は、戦時下においても子どもたちの成長と情操教育を重んじる文化の表れであり、ラジオ放送や学校教育などで広く用いられていました。

この年はまた、音楽制度の整備という点でも重要な転機を迎えました。11月には、日本音楽著作権協会の前身である「大日本音楽著作権協会」が設立され、作曲家や歌手の権利保護が本格的に検討されるようになりました。これにより、音楽が「産業」としても成立しはじめ、作品の価値をめぐるルールが整備されていくきっかけとなりました。

世界に目を向ければ、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」やジュディ・ガーランドの「虹の彼方に」、ジーン・オートリーの「バック・イン・ザ・サドル・アゲイン」など、いまなおスタンダードとして歌い継がれる名曲が次々と誕生した年でもありました。「イン・ザ・ムード」や「奇妙な果実」など、ジャズやブルースの新たなスタイルも浸透しつつあり、世界的な音楽潮流はますます多様化していきます。

音楽的な規格においても大きな前進がありました。1939年5月にロンドンで開かれた国際会議により、「a’=440Hz」が国際的な標準ピッチとして定められたことは、クラシック音楽をはじめとする全ての音楽文化にとって技術的基盤を統一する大きな一歩となりました。

総じて1939年の日本音楽シーンは、戦時体制への移行という大きなうねりの中にありながらも、感傷・希望・抒情・抵抗といった多面的な情感を音楽として表現し続けた年でした。戦意高揚の役割を担う軍歌と並び立つ形で、恋や郷愁を描いた流行歌や、未来を託す童謡が人々の心を包み、厳しい時代においても音楽が「生きる力」を与えてくれたのです。その文化的な厚みと精神性は、戦後の昭和歌謡や日本のポップス文化の礎となり、現代へと受け継がれていきます。

1939年(昭和14年)の名曲、発売リスト

以下に、1939年の代表的な演歌・歌謡曲をいくつか紹介します。

  • 青葉笙子「千曲流れて」「夢の北京」
  • 秋田喜美子「あの子はたあれ」
  • 淡谷のり子「夜のタンゴ」「鈴蘭物語」
  • 市丸「兵隊甚句 (w.鈴木正夫)」
  • 伊藤久男、二葉あき子「白蘭の歌」「くろがねの力」
  • 上原敏「俺は船乗り」
  • 岡晴夫「上海の花売娘」「港シャンソン」
  • 笠置シヅ子「ラッパと娘」
  • 北廉太郎「出船の唄」「追憶の馬車」「青春の丘」
  • 霧島昇「愛の紅椿」「純情二重奏 (w.高峰三枝子)」
       「一杯のコーヒーから (w.ミス・コロムビア)」
       「愛染草紙」「愛染夜曲」
  • 小林千代子「旅のつばくろ」
  • 塩まさる「九段の母」
  • 東海林太郎「名月赤城山」「樺太行進歌」
  • 田端義夫「大利根月夜」「島の船唄」
  • ディック・ミネ「或る雨の午後」
  • 徳山璉「機関兵の手記」「カメラの戦士」
  • 中野忠晴「チャイナ・タンゴ」
  • 波岡惣一郎「山は呼ぶ 野は呼ぶ 海は呼ぶ」
  • 林東馬「戦線夜更けて」
  • 藤山一郎「懐かしのボレロ」「せめて淡雪」
  • 二葉あき子「蘭の花」「古き花園」
  • 松平晃「小鳥売りの歌」
  • 三門順子「暁の決死隊」
  • 美ち奴「吉良の仁吉」
  • 山田一雄「荘厳なる祭典」
  • 山中みゆき「ほんとにほんとに御苦労ね」
  • 由利あけみ「熱海ブルース」「長崎物語」「忘られぬ瞳」
  • 米山博夫「従軍記者日記」「戦線お国自慢 (w.鈴木正夫,波岡惣一郎)」
  • 渡辺はま子「長崎のお蝶さん」「いとしあの星」「広東ブルース」「月の ヒュッテ」「何日君再來」
  • 童謡「お猿のかごや」「ちんから峠」「やぎさんゆうびん」
  • 県民歌「徳島県民歌」
  • 球団歌「巨人軍の歌」

コメント

タイトルとURLをコピーしました