1935年(昭和10年)の演歌・歌謡曲

1935年:名作と弾圧の狭間で揺れた時代

1935年の日本は、政治と社会の緊張が高まり、国の方向性が大きく揺れ動いた一年でした。国内では昭和維新の名のもとに軍部の影響力が増し、言論や学問の自由に対する圧力も強まっていきます。その象徴ともいえるのが「天皇機関説事件」であり、美濃部達吉が唱えた学説が「国体」に反するとして厳しく攻撃を受けました。議会や新聞でも取り沙汰され、彼の著書は発禁処分となりながらも、むしろ人々の関心を集め、書店では売り切れが続出しました。この騒動は、思想の多様性が許容されにくくなっていく空気の到来を象徴する出来事だったといえるでしょう。

政治の世界では、軍部が政府への影響力を強めていく一方で、外交においても重要な動きがありました。日本は華北への影響力を強めようとし、梅津・何応欽協定や土肥原・秦徳純協定を結び、中国側の反発を招いています。また、12月には学生たちによる抗議運動「一二・九運動」が北平(現・北京)で勃発し、数万人の学生が日本の華北分離工作に反対するデモを展開しました。この運動は当時の中国における抗日感情の高まりと、学生が社会運動の先頭に立った象徴的な事件として記録されています。

一方、経済の面では世界恐慌の影響から徐々に回復を見せ、国内産業の再編が進んでいました。この年、東京電気化学工業(現在のTDK)や富士通信機製造(後の富士通)といった企業が誕生し、技術産業の芽が静かに育ち始めます。鉄道の整備も進み、東京から千葉への電化完成や、いわゆる“陸の孤島”だった高知県が土讃本線の延伸によって本土と鉄道で結ばれるなど、インフラの整備も進展しました。また、NHKが国際放送を開始するなど、情報伝達の面でもグローバル化の波が押し寄せつつありました。

文化の領域でも大きな節目となる年でした。文壇では、芥川賞と直木賞が創設され、第1回の受賞者として石川達三の『蒼氓』や川口松太郎の『鶴八鶴次郎』が選ばれています。これにより、純文学と大衆文学という二つの流れが明確に意識されるようになり、日本文学に新たな指針が示されました。小林秀雄の『私小説論』や和辻哲郎の『風土』なども刊行され、思想と文学の接点を問う作品が注目を集めました。また、日本ペンクラブが島崎藤村を初代会長として発足し、言論人や作家の連携も進みました。

映画やアニメの世界では、溝口健二監督の『虞美人草』や山中貞雄監督の『丹下左膳余話 百萬両の壺』といった作品が話題を呼び、リアリズムと娯楽性を兼ね備えた日本映画の可能性が示されました。加えて、「のらくろ二等兵」「のらくろ一等兵」といったアニメーション作品も登場し、子どもたちを中心に人気を博しました。これは後の戦中期の国策アニメや戦後の漫画文化にも影響を与えた萌芽的存在といえるでしょう。

スポーツ界では、大相撲で玉錦三右衛門が春夏連覇を果たし、国民的ヒーローとしての地位を確立します。また、マラソン界では日本人選手の躍進が著しく、3度にわたって世界記録が更新されるという快挙が続きました。9月には孫基禎が2時間26分42秒を記録し、世界における日本陸上の存在感を高めています。野球では、大阪タイガース(のちの阪神タイガース)が設立され、プロ野球の萌芽期を彩る一歩が刻まれました。

この年はまた、多くの記念年にも重なっていました。福澤諭吉の生誕100周年、普通選挙法の施行から10周年、NHKラジオ放送の開始からも10年という節目の年であり、近代日本の制度やメディアの礎を振り返る機会ともなりました。国際的にはナチス・ドイツが再軍備を進め、国際連盟を脱退するなど、第二次世界大戦への歩みが加速する中で、日本もまた国際協調から距離をとる姿勢が鮮明になりつつありました。

1935年という年は、表面的には技術の発展や文化の創造が進みながらも、その裏では思想の締め付けや国際的な孤立の兆しがじわじわと広がっていた時期でした。自由と統制、平和と戦争のはざまで揺れ動く日本の姿が、さまざまな場面で垣間見えた一年だったといえるでしょう。

1935年:名曲が花咲いた昭和の交差点

1935年の日本の音楽シーンは、昭和初期の社会情勢や文化的背景を色濃く反映し、多様なジャンルと表現が交錯する豊かな時代でした。この年は、流行歌、クラシック、童謡、そして海外音楽の影響が融合し、独自の音楽文化が形成されつつありました。

まず、流行歌の分野では、東海林太郎の「旅笠道中」や「野崎小唄」、ディック・ミネと星玲子のデュエット「二人は若い」などが大衆の心をつかみました。これらの楽曲は、哀愁を帯びたメロディーと叙情的な歌詞で、当時の人々の感情に寄り添うものでした。また、音丸の「船頭可愛いや」や関種子の「雨に咲く花」もヒットし、女性歌手の活躍が目立ちました。

クラシック音楽の分野では、伊福部昭の「日本狂詩曲」や大澤壽人の「ピアノ協奏曲第2番」、早坂文雄の「二つの讃歌への前奏曲」など、国内作曲家による作品が発表され、日本のクラシック音楽の発展に寄与しました。これらの作品は、西洋音楽の技法を取り入れつつ、日本独自の感性を表現しており、後の日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。

童謡の分野では、「うれしいひなまつり」が発表され、子供たちの間で親しまれました。この曲は、ひな祭りの情景を描いたもので、現在でも多くの人々に歌い継がれています。

海外の音楽では、コール・ポーターの「ビギン・ザ・ビギン」やジョージ・ガーシュウィンの「サマータイム」、デューク・エリントンの「イン・ア・センチメンタル・ムード」などが発表され、世界的なヒットとなりました。これらの楽曲は、日本の音楽家やリスナーにも影響を与え、ジャズやスウィングの人気が高まりました。

また、1935年は、築地市場の開場やNHKの国際放送開始など、社会的な出来事も音楽シーンに影響を与えました。これらの出来事は、音楽の流通や普及に寄与し、より多くの人々が音楽に触れる機会を得ることとなりました。

このように、1935年の日本の音楽シーンは、多様なジャンルと表現が共存し、豊かな文化を形成していました。これらの音楽は、当時の人々の生活や感情を映し出し、後の音楽シーンにも大きな影響を与えることとなりました。現在でも、多くの楽曲が愛され続けており、昭和初期の音楽文化の豊かさを感じさせてくれます。

1935年(昭和10年)の名曲、発売リスト

以下に、1935年の代表的な演歌・歌謡曲をいくつか紹介します。

  • ディック・ミネ、星玲子「二人は若い」
  • ミス・コロムビア「つきのキャンプ」
  • 音丸「船頭可愛いや」
  • 関種子「雨に咲く花」
  • 高田浩吉「大江戸出世小唄」
  • 志村道夫「流線型ジャズ」
  • 児玉好雄「無情の夢」
  • 小野巡「祖国の護り 大山元帥を讃える歌」
  • 松島詩子、東海林太郎「それも思い出」
  • 松島詩子「夕べ仄かに」
  • 淡谷のり子「ドンニャ・マリキータ」
  • 新橋喜代三「明治一代女」
  • 中野忠晴「小さな喫茶店」「ミルク色だよ」「Tiger Rag」
  • 東海林太郎「旅笠道中」「野崎小唄」「むらさき小唄」
  • 楠木繁夫「緑の地平線」
  • 伊福部昭「日本狂詩曲」
  • 大澤壽人「ピアノ協奏曲第2番」
  • 早坂文雄「二つの讃歌への前奏曲」
  • 童謡「うれしいひなまつり」
  • 市歌「堺市歌」「大連市歌」
  • 行進曲「大分県行進曲」

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